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2008年04月06日

スリランカ、新年行事で爆発、ハイウェイ相死亡


スリランカのコロンボ(Colombo)近郊のWeliveriyaで6日、伝統的な新年行事の最中に爆弾が爆発し、行事を主宰していたジェヤラージ・フェルナンドップレ(Jeyaraj Fernandopulle)ハイウェイ相(55)が死亡した。このほかに少なくとも10人が死亡、50人が負傷した。スリランカ政府が発表した。

警察は、会場に潜入した反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(Liberation Tigers of Tamil Eelam、LTTE)」の自爆テロ犯の犯行とみている。国防省もLTTEがハイウェイ相を暗殺したとの見方示している。

フェルナンドップレ氏はLTTEに厳しい立場をとっており、失敗に終わったLTTEとの和平交渉にも参加していた。

タミル・イーラム解放のトラ
参照:『ウィキペディア(Wikipedia)』

タミル・イーラム解放のトラは、スリランカ北部と東部にタミル族の独立国家タミル・イーラムを建国し、スリランカからの分離独立を獲得するために多数派のシンハラ人に対して武装闘争を展開している少数派タミル人の組織。インド共産党毛沢東主義派と連携している。

設立の背景
LTTE設立の背景には、スリランカの人口比が挙げられる。スリランカの人口は2,074万人である(2005年統計)。そのうち、シンハラ人はスリランカ住民の約74%を占める多数派であり、インド・アーリア語派のシンハラ語を話す。
多くは仏教を信仰、島南部に居住し農民が多い。それに対してタミル人はスリランカ住民の約18%を占める少数派である。ドラヴィダ語族のタミル語を話す。
多くはヒンドゥー教徒で主として北部と東部沿岸に居住している。ちなみに、スリランカには他に、イスラム教徒であるムーア人がスリランカ住民の約7%を占める。

LTTEの設立
1947年、議会選挙の際、1人1票制が採用され、シンハラ人は、政府で多数派を得た。タミル人は、レバノン型の権力分割(50:50)を主張したが、そのような提案は通らず、回答として、タミル・イーラム統一解放戦線運動が起こり、その指導者は、インドのタミル・ナドゥ州及びスリランカのタミル人居住区から成る統一タミル人国家の創設を主張した。
一方、タミル人は国の北部を分離するための活動を開始した。シンハラ人は、反タミル人・キャンペーンを展開し始め、民族浄化を提唱する人民解放戦線を創設した。
この頃、タミル人の青年達は、不活発な統一解放戦線に不満を持ち始め、1976年、ヴェルピライ・プラブハカランは、タミル・イーラム解放のトラを設立した。
現有兵力は約5,000、最大でも10,000名を超えないと推定される。

闘争の経緯
タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)は、1978年5月に各地の警察署を襲撃したのを皮切りに広範囲なテロ活動を展開している。1980年代には訓練キャンプを各地に設立し、本格的な武装闘争を展開し始めた。当初、ゲリラの訓練には、インド軍将校が当たった[要出典]。
当初劣勢だった政府軍は、装備の充実に努め、1987年までにはLTTEを北部のジャフナに追い詰めることができた。しかし、ここで親タミル的なインドが介入し、タミル人に物資を空中投下し、スリランカ政府に停戦の圧力を加えた。当時のスリランカ大統領ジャヴェロデンは、これに激怒し一時は宣戦布告も考えたが、結局交渉に入った。交渉での合意に従い、タミル人には自治権が与えられ、武装解除の義務を負うこととなった。停戦の監視には、インド平和維持軍(IPKF)が当たった。
停戦後、平和が訪れたかに見えたが、今度はシンハラ人民族主義者がテロ活動を展開した。LTTEも、これを好機と見て武装闘争を再開した。平和維持軍を自任するインド軍は、LTTEに対して大規模な行動に出ることに決め、1988年5月には5万5千人の部隊をスリランカに駐屯させた。
1989年、ラナシングフ・プレマダサが大統領に当選した。彼は、大きくなりすぎたインドのプレゼンスを排除するために、LTTEとの交渉を再開した。休戦が発表されると、インド軍の存在意義はなくなり、スリランカ政府の執拗な要請の下、1990年3月にインド軍は撤退した。同時にプレマダサは、シンハラ人民族主義者を葬ることに決め、彼の命令により野党、統一国民党の支持者4,500人が殺害され、同党は壊滅した。この間、LTTEもテロ活動を再開し、1991年5月21日には元インド首相ラジーヴ・ガンディーを、1993年5月1日にはプレマダサ大統領を暗殺した。
1994年にチャンドリカ・クマーラトゥンガが大統領に当選し、三度LTTEとの交渉を再開したが決裂し、政府軍は大攻勢を展開して、1995年にLTTEの拠点ジャフナを奪取した。攻勢は継続されたが、決定的な勝利を収めることはできず、LTTEのテロにより治安情勢は顕著に悪化し、1998年には非常事態が導入された。1999年12月18日にはクマーラトゥンガ大統領の暗殺未遂が起き、これによりクマーラトゥンガは視力を失った。
2000年以降はノルウェーの調停で停戦していたが、LTTEの爆弾テロが止まらなかったため2006年にスリランカ軍が北部拠点の空爆を開始、政府は停戦破棄を否定したがLTTEは停戦崩壊を宣言した。これを受け政府側も2008年1月3日にノルウェー政府に対し停戦破棄を通告、同16日に失効した。
戦闘の本格化に伴い、LTTEは内戦史上初となる改造民間機を投入した航空攻撃を敢行した。近代的な防空システムを持たないスリランカ軍はゲリラ的な空襲に対して有効な対応を取ることが出来ず、低速のレシプロ機による首都爆撃をそのまま見過ごすという失態を演じた。
しかしながら、地上においては政府軍は北部及び東部での戦闘を優位に展開しており、一連の航空攻撃及び無差別テロの激化はLTTEの苦境を示すものではないかとも見られている。



ラベル:テロ tero
posted by world at 13:41| 戦争・紛争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする